もりもり先生のリクエストにお応えして

ブログをはじめました、って言ったら、もりもり先生にお題を戴いたので書きます



「正しい教育とは」

…んなもん存在しません

と言ったら話は絶える

 

ちょっとだけ考えてみます

そもそも正しいって何?

 

それで思い出したウルトラマンの話
ウルトラマンといえば、地球を異星人から護る正義の味方
この場合の正義は、地球人を護ることなんです

でも、これって住むとこなくなっちゃって困って住みやすそうな地球にはるばるやってきた異星人にとっては、問答無用で討ち果たされる羽目に陥るので不正義なのよね


…ざっくりいうとこんなお話

つまり、見方を変えれば、正義も不正義になっちゃう
教育も同じで正しいかどうかって時代(見方)が変われば正義が不正義になっちゃう
詰め込み教育の時代は詰め込むことこそが正義だったし
ゆとり教育の時代はゆとりをもたせることこそが正義だったし

そもそもがところ教育に正解なんてないんです

だから、冒頭の、んなもん存在しません

という答えになっちゃう

 

それでもあえていうなら、目指すところは、十人十色なそのひとにとっての人生における最善手を目指すよう教え育てることなんじゃないのかな?

と、日々思って生徒に接しています

だって、学習塾にとっての正義は全問正解(テストで満点を取ること)
でも、それを実現しようとして生徒が心を壊してしまったら何もならない
持てるもの+αで戦わなきゃいけないんだから、その+αをいかに苦しまずに(苦しくないように)持たせてあげられるかが腕の見せ所だと思うんです
実際のところ、何事も苦しかったら続かないんですよ
苦しいのが好き☆なんて性癖のかたを除いて大人だってムリな話なのに、年端もいかない生徒にそれを求めるのは酷というもの
さらに言うと、苦しんだから結果が付いてくるなんて偽善か幻想なんですよ
できうることなら苦しまずに結果を手に入れさせてあげたいし、自分だって苦しまずに結果を手に入れたいと思う
そこはラクをさせるというのではなく、苦しさを感じさせないようにさじ加減するのが私の役目かなぁ?と

だから、生徒によって最善だと思われる教材をそれぞれ用意して、ひとりの生徒に対してそれこそ得意科目・不得意科目で教材も変えてって感じで、少しでも多く+αが増えるようにしています
ぶっちゃけ、こんなことをしているから教材なんて赤字よ赤字(笑)
教材で悪儲けしている連中のせいで、教材を売って儲けているように見られて迷惑だわ!

 

それはさておき
進路も、偏差値が高いところ優先じゃなくて、行きたいところへ行けるよう逆算して、って感じにしています
ミスマッチは悲劇を生むことが多いし、それをリカバリーできるひとばかりじゃない

偏差値が高いところへ行くばかりが正義じゃないですから

少しでも偏差値の高いところへ生徒を送り込むことが大手の商売上の正義ではあるかもしれないですが、ひとひとりの人生を大きく左右するところにエゴを押し付けるだなんてありえないからこそ個人的にそれがどうしても飲めずに独立しました

というのが、私にとっての正義
きれいごとばかり言いやがって、と、思う向きはあると思う
逆に言いたい
きれいごとを理想にしなくて、なんの正義だ、と
実現が難しいからこその理想であり、義(理想)を貫いたからからこそ上杉謙信は後世まで義の漢として名を残している

きれいごとついでに言うなら

人生の礎を中学生年代で築いてもらいたい

それが私の究極の野望です